ラサの巡礼

「冬のラサは遊牧民の巡礼者が来ていて、夏の観光シーズンとは違って、雰囲気がとてもいいですよ」と友人が言っていた。
寒い冬より、夏がいいのかなと思っていたけれど、行ってみて納得。私たちの初めてのチベット体験は観光客にもまれることもなく、日に焼けた頬の赤いチベット人が丈の長い民族衣装を着てジョカン寺の周囲をコルラ(歩いて巡礼)していた。
本来、当たり前のことかもしれないけれど、ラサはたくさんのチベット人がいた。


初めて目にする五体倒地、ゆっくりと進む巡礼者、くるくると回るマニ車・・・その雰囲気はじーんと胸に迫るものがあった。観光に来ている私とは全然違う。チベット高原のどこかからの日常を離れたハレの空気。圧倒された気持ちで人々の動きを眺めていたけれど、まだ緊張しつつ少し前に歩み私もその流れにそっと混じって進んだ。外人を気に留める様子はあまりない。お香の煙とヤクバターの匂い。何かつぶやきが聞こえる、あ、お経を唱えている。私には唱えるお経がないな・・・。なにか大切な言葉ってなんだろう。だけど、大切な言葉を知らないわけじゃないよね。だって、いつも支えてもらってきたから今日がある。これまでの出会いや出来事を思うと、家族や友人の顔がたくさん浮かんできて、ラサの空の下でなんだかとても懐かしくなる。
しばらく歩くとこのコルラにも慣れてきたようで、仲良くおしゃべりの人、子供をおんぶしている人、途中のお店に寄り道の人、結構みなリラックスして歩いているらしいことが目に入ってきた。ジョカン寺に向かって五体倒地の人の中には一休みしつつ家族そろってご飯を食べてる人もいて、なんだかほのぼのするような様子もあった。ラサで巡礼を見ることができてよかったと思う。まだまだ何も知らないけど、ほんの少しでもチベット人にとってのチベット仏教を感じられる体験になった。

それから、巡礼の列の中には警官がやたら多く、そして人の集まるところには必ずっていいほど。チベットが中国の自治区という現実はこの警備の様子で改めて感じた。彼らは冷ややかな目線をもって巡礼者を見ているようにもみえて、それを見る私もまたつい同じようになってしまった。気持ちがざわつく。けれど、五体倒地する人は、一心に同じ祈りを繰り返し、見ているものは警官でも私でもないことは確かだった。

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