アミンとラロン

マンゴーの青い実をサラダ感覚で食べる

クルナからクシュティア行きのバスで車掌をしているアミンと出会った。クシュティアまでの4時間あまり、いろいろ私たちの世話をしてくれた。バスの中に売りに来たアム(マンゴー)に塩・チリをかけたものを買ってくれたり、停車したときに買いに行ったのか揚げたてのかりんとうのようなお菓子をくれたり、私がトイレに行きたいと言ったのでガソリンスタンドのトイレまで案内してくれたり、クシュティアを降りてからのCNG(ガスで走る三輪タクシー)の値段を交渉してくれたり。

アミンは日本で働きたいと言った。ノートの切れ端にその思いを書いた。私たちに助けてほしいと片言の英語で言う。アミンの英語で伝わらない部分は前に座った乗客がこちらに振り向いて熱心に話してくれた。彼はとても貧しいので助けてあげて、彼は貧しいけれど心はとても正直な人なんだ、これはフレンドシップだ、と。どうしたらビザがとれるかとか全くわからないし、私たちにはほぼ不可能なこと。そんなに貧しい貧しいと言うのならあなたが助けてあげて、と思ったけれど、相手の気迫のほうが勝っていた。ちゃたは”I will try”と答えた。

アミンが手配してくれたCNGで20分くらいのところにラロン聖者廟を訪れた。おおざっぱに言うと、バウルという吟遊詩人たちがその場所でラロンを今でも信仰しているという。ベンガル人でノーベル文学賞をとったタゴールもラロン信仰に傾倒しバウルたちの歌が好きだったそうだ。聖者廟ではそのバウルたちが4人で演奏してくれた。観光客向けにやっている感じ。途中、携帯が鳴ったりしてしばし待ち、再び演奏。なんだかコントをみているよう。演奏の後、ちゃたは200タカを渡した。そのあと一緒に写真を撮ったりしたから「バクシーシ」。聖者廟のバウルたちと車掌のアミンの一途な思いとが対極にあるようで、短絡的かもしれないけれどそう感じてしまって、感動できなかった。

勉強不足を棚にあげて思わずどうしても言ってしまうけど、どこか見学というのは、いつも色あせた過去のものしかなくて、説明なしではよく分からなくて退屈になるけれど、偶然の人と人との出会いは説明などいらなくて、ただただ心の中に様々な思いをよこしてくれる。これからの旅での出会いを私はどうやって誠実に保ち続けていられるだろう。

ラロン聖者廟から再びクシュティアのバスターミナルに戻ると、アミンがバスの横にしゃがんでいる。「アミン!アミン!」思わず遠くから呼んでしまう。走ってこちらにやってきて、クシュティアからラジシャヒ行きのバスを教えてくれた。慌ただしく荷物を運びこむと荷揚げしてくれた人にチップの10タカを求められ渡す。アミンとバスの中で握手をして別れると、バスは思いのほかすぐに出発した。アミンは私たちに向かってバスターミナルを出てからも細い手を振り続けてくれていた。私たちも窓から手を振り続けた。「アミンはチップも要求しなかったね」そうちゃたに言ったとたん、なんだか急にこみあげてきて、緊張した心が開いたみたいな感覚になって涙がとまらない。どうして悲しいのか、分かるような分からないような、言葉にならない何か。バスの中は初めて来た異国の地みたいだった。そのあと、4時間バスに乗っていたけれど、誰ももう話しかけてはこなかった。

thank you Amin!

アミンのことはよく知らないけれど、本当に日本で働きたかったのだろう。今まで会った他の誰よりも積極的だった。すべてはひとことで言えないけれど、アミンは私たちを本当に友人と思って楽しい旅ができるように思ってくれたことは確か。(その後出会う人たちがみな本当に親切でいつも助けてくれたことはバングラデシュの良い思い出のひとつになりました)

外はすっかり夜になりラジシャヒの街に入った、ホテルの前で車掌が私たちに声をかけた。アミンからの言付けかな。最後までありがとう。

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