コルカタのネーネー

コルカタでインド声楽を習いに来ているエイリちゃんを訪ねた。

 

エイリちゃんは毎年コルカタに声楽を習いに来ていて、今年で5年目。長い時は3ヶ月、短い今回は1ヶ月、インド人家族のニルダとブルディーの家に滞在して歌の稽古へと通う毎日を過ごす。ちょうど、のりちゃんという女の子もタブラーを習うために滞在中だった。年末あたりから3月にかけてはたくさんのインド音楽のコンサートも開催され、季節も乾期で過ごしやすいからインド滞在にはもってこいの時期。インドの雨期も夏の暑さもまだ私は知らないけれど、なるほどなあと納得。

ある日、エイリちゃんの誘いでインド声楽の稽古について行った。

ここにいるとなかなか歩かなくなるからと、すこし歩いてから乗り合いオートリキシャをつかまえて、稽古場へ向かった。稽古は朝の10時半から昼まで、時間はエイリちゃんが決めている。インドの夜は意外と夜更けまであるし朝から声が出るのかなと思ったけれど、午前中のほうがさっぱりした気分でのぞめるのかなと彼女の表情を見ながらふと感じた。

稽古場は先生の自宅で、シタールなどの楽器が置かれた窓からの明かりで気持ちよい一室。私は初めての場所で緊張したけれど、エイリちゃんの友達がきたということで歓迎してくれた。歌の先生もタブラーの人もみないつもと変わらないような自然な会話でゆったりした雰囲気。先生の奥さんがミルクティーを入れてくれて、私もほどなくしてリラックス。

歌の稽古は先生の歌う声で始まり、エイリちゃんが先生と同じように歌うというのを繰り返していく。短い節だったり、長かったり、様々な音程とリズムがあって、それをひたすらずっと。タブラーは歌の気分をのせてくれるような抑揚でさりげなく、そしてとても楽しそうに叩いている。朝から、と思ったけれど、エイリちゃんは透明感のある明るいしっかりした声を出していた。さすが。

東京でちゃたと二人で彼女のライブに行ったとき、歌の上手な人の体は声を出す楽器そのものなんだなと感じたことを思い出した。言葉の意味が分からないと(失礼!ヒンドゥー語でドレミとかなのだそう)ぽーんと飛んだり揺れたり響いたりするのがまるで音のよう、声は音なのだから当たり前すぎる言い方だけど…。一つの「アー」の中にもいろんな感触。歌の上手な人をどう表現したらいいのか分からないから、今は感じたままに書いてしまうけれど。

先生が歌うエイリちゃんを見ていると、すごく大事な生徒と感じていることが伝わってきた。エイリちゃんの歌声はもともときれいでセンスも抜群なんだと思う、その上、インドの滞在ごとに吸収して帰っては日本で練習してぐんぐん成長して毎年やってくる。頼もしくて教えがいのある生徒。

だけど日本で出発前エイリちゃんに会った時、インドで声楽を習うのは今年が最後かも、と言っていた。毎年来るのは簡単なことではないだろうな。でも再び稽古をつけてもらうと、先生が次の年の課題まで考えてくれていて、まだまだやりたい、そう思ってしまった、って。今の先生だから毎年習いに来たいと思っていたことも話していた。習っているのは歌だけど、ここで学んだことをエイリちゃんの人生に生かしてくれたらいいと考えてくれるような先生。月並みな言い方かもしれないけれど、先生とか師というのは少し先の道しるべを示してくれるような存在のことをいうのだなと感じる。

一年に会うのはほんのわずかな時間だけれど、日本でのいろんなことをひとまずおいて、インドという異国、コルカタの家族と過ごす時間や声楽の稽古に没頭する時間。インドでの暮らしはエイリちゃんの歌声にますます磨きをかけて響いていく。

私たちが帰国したらまた歌を聴かせてね。

 

 

 

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